代表より皆様へご挨拶
私の変わらぬ想いを
書かせてください
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少年時代
私は南九州市川辺町の山と畑と小川のある小さな集落に双子の長男として産まれました。
少年時代をのどかな田舎でのびのびと過ごしたのですが、
物心がつき始めた頃に、とても怖くて心配なことが起こるようになったのです。それも毎年のように・・・。そうそれは台風です。
私は台風の猛烈な風が怖くて仕方がありませんでした。うなり狂う台風の轟音、
家や樹木が強風に揺られてきしみむ光景は不気味でとても恐ろしかったのです。当時私が住んでいた家は茅葺の築百年近く経つ古民家でした。
シロアリに喰われた梁や柱、屋根からは雨漏り・・・そんな家でした。
ですから台風の日は子供の私には想像を絶する恐怖で震えていました。
そんな経験から、私は「安心して住める家」に住みたいと強く思うようになりました。
そして高校は建築科へ進み、いつしか「いい家に住みたい」という想いから、
「強くて安心な家」を建てたい。「建築の仕事がしたい」と思うようになったのです。 -
独立
そして幸運にも大阪の大手ゼネコンに入社し、ビル、ホテル、事務所、学校といった鉄筋コンクリートや鉄骨造の建設を手がけました。
しかし、父が病に倒れたのをきっかけに鹿児島に戻ることに。
その後地元の建築会社に勤め、その会社では主に住宅を手掛け、
木造軸組み、2×4、軽量鉄骨造、リフォームといったあらゆる工法や工事を経験しました。ここでの経験が独立後に大きく役に立つことになります。
38歳の時私は独立を決意しました。
当時、明らかに不良工事が原因とおもわれる改修工事の依頼が非常に多く、
仕事が頂けることは有難いことでしたが、複雑な思いが強く残りました。なぜ、このようなずさんな工事が出来るのか・・・。
このような出来事が自分がどうしたいのかを考える機会となったのです。
「ただの金もうけのためにやっているのか?」
「どんな人の家を造りたいのか?」
「自分がどんな仕事をすることで、お客様が満足し、自分自身も喜びを感じることが出来るのか?」
お客様が生涯1度の家づくりを任せる相手かどうか真剣に悩み検討をして決めてくれたはずです。
その思いにお応えする為には「建てた家をいつまでもケアし、面倒を見ること」
そして、「頑丈で台風や地震をものともしない家を造ること」この二つの約束をどんなことがあっても忘れないと決心しました。
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変わらぬ想い
楽しい家では、OBのお客様に定期的に点検のご案内をお送りしています。
子供のころの恐怖体験から絶対に台風に負けない家にする事にこだわります。
市の建築指導課のかたからは「ここまで構造をがっちり固めると面倒だし大変でしょう?」とよく言われます。
いえいえ、これが私たち「楽しい家」の家づくりなのです。
この考えはこれから先も変わることはありません。
頑丈で安心して住まえる家、そしてデザインにこだわりながらも自然素材を存分に使った健康な住宅。
これからも地元の皆様にそんな家づくりを提供し続けて参ります。
どうぞこれからもご指導とご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
- (株)楽しい家
- 代表取締役 君野 俊男