2022/06/10勤務地21
野佐さんは藤本さんと同じ年の入社で、お互いに競争意識があったように感じていました。
同じ関西の大学出身で阪大、神戸大卒ということがあったのかもしれませんね。
型枠工事を担当していましたが、学生結婚をしていたように記憶しています。
それで仕事上がりに一緒に夜の街に繰り出そうとすると、今日は行けないということが
度々あったようです。
若い頃の給料は少なく、家計のやりくりも大変だっただろうと推測出来たのでした。
現場は一緒でもペアを組んで仕事をしたことはなかったのです。
それで他の社員のように、強く記憶に残ることは残念ですがありませんでした。
その後東京に転勤になって頑張っていたのですが、3~4年前に病を得てしまい、70歳を
前にして亡くなられたと聞きました。ちょっと早いです、合掌致します。
尾崎さんは確か途中入社ではなかったかと思います。四国にいたときに現場を訪ねてきて、
副所長の田村さんと話をされていたことが記憶にあります。
この方は非常にユニークな方で、白足袋を履いて現場に出るのでした。昔の現場職員は
事務所にいることはほとんどなく、現場で作業をすることが出来る社員と思われる節
がありました。
そのような価値観で、尾崎さんは若いころから鍛えられてきたのだと思います。
当然昔の流儀をそのまま体現しているので、考え方も独特のものがありました。
鉄筋工事で一緒でしたが、私がちょっと粗相をしてしまったことがありました。
不要な鉄筋と勘違いしてしまい、切断してしまったのでした。これは全くの不注意で、
私にとっては弁解の余地もありませんでした。そのことできついお叱りを賜り、しばらくは
引きずってしまっていたのです。
このことは私自身が「魂が入った」(鹿児島弁で、タマイガハイッタ)状態に自身が変わる
きっかけとなり、今では感謝の思いですね。
尾崎さんはやや他人を責める傾向があったせいか、自身が所長から指摘されたり、現場状況が
思わしくないとよく腰痛が出て、休みがちになるのでした。他人事ながらもう少しバランスの
ある言動が出来たら違ったのではと思わないでもありませんでしたね。
高木さんは都島工業卒(大阪府立)のラガーマンです。180数センチある屈強な体格でどち
らかというと顔もいかつい方です。(高木さんの奥様に失礼です)
そんな高木さんですが、気持ちはやさしく繊細な一面も持ち合わせていたのです。
これ程の現場となると、昼食を世話するおばちゃんが必ずいます。
毎週何曜日だったかは忘れましたが、カレーの日がやってくるのです。「高木は繊細だから
カレーは食えないね」と谷さんが言っていたのを覚えています。
そして高木さんだけ別メニューが出てくるのです。
まさに気はやさしく力持ちの高木さんでした。不思議と縁があり次の現場でも一緒させて
いただいたのでした。大正の現場もだいぶ終盤になってきました。もう少しお付き合い
頂ければと思います。