2022/06/30姿が違う
生きていると「なんでこんなに辛いことが起きるの」という事はあります。
それは時を選ばずやってくるので、まったく予期しない事でもあります。
人によっては「何か私が悪いことをしたと言うのか」と受け入れられずに神仏を
恨むような気持にもなります。
真面目に誠実に生きてきた人であれば、尚更そのような思いを抱くのではと思
っています。そのようなことは当事者からよく聞く言葉でもありますね。
それは仕事、私生活を問わず経験することです。おそらく私はそのようなことを
経験したことがないと言う人はいないのではと思います。
そのような人生の苦境に立たされている時は、全くこの世の不条理を歎くこと
しか出来ずに、悶々とした日々を過ごす事になります。
ではそのような現実に対して、何かが出来るかというとそれも簡単ではありません。
良く慰めの言葉を周りから言われるのは、「時が必ず解決してくれるから」という
ものです。あまり当人に響くことはないのですが。
当の本人は年月を経てようやく立ち直り、いつかそのことを振り返って見る余裕が
出来るようになります。
その時思いがけない感想を言うことがあります。あの時は辛かったが、今では良か
ったと思っている。そのお陰で事業の方向性を変えられたし、今では有難く思っている。
またあれ以降家族の関係も良くなり、あのままだったら大事なものを見失う所だった。
自分にとって修業を与えられた期間でもありました。
この様な肯定的なことを話してくれることがあるのです。
不運なことではありましたがそれが転機となり、幸運な道が目の前にあったのでした。
それは「幸運は不運な姿をしてやってくる」とも言えます。