2022/07/20惜しいことを
最近ではお寺に行く人は少なくなりましたが、日本人の心の拠り所として存在感は依然
としてあります。四国に行くと街中で見かける白装束の人たちが、熱心に祈り行脚を
している様子は、地域の風景に溶け込み羨ましくもあります。
四国全体が八十八カ所巡りの地であり、それを歓迎する地元の人達がいると言う事
がまた素晴らしいです。
都会には決してないコミュニティがあって、人間的な暮らしが出来るのも地方の良い
所です。四国は九州よりも小さな面積しかありませんが、お寺を中心とした文化が
染み込んで、町中は輝きを放っているかのような印象があります。
とにかくお寺はお迎えするぞという雰囲気にあふれ、こちらのお寺とはまるで違うのです。
上り旗、杖、記帳書、歴史由来案内書き、八十八か所巡りの道程地図、何から何まで
きちんとしていて、自然と手水鉢に足が向きお参りすることになるのです。
不思議なことですが、年若い頃には思いもしなかったことです。年も相応になって
くると、彼岸の地が呼んでいるのかも知れませんね。
それは良いとして、鹿児島にも有名なお寺は沢山あったと聞いてはいますが、
全て文献であって実在するものは少ないです。
郷里の勝目にも善積寺(ぜんしゃくじ)という薩州三ヵ寺と言われる程の大きな
寺院があったのです。松薗集落に有ってもぎ取られた仁王像を見ては、不思議な
光景に小さい頃は見えたのでした。
「もし」は歴史にありませんが、現存していれば人の往来が絶えず、にぎやか
だったかもしれませんね。明治維新では日の当たる活躍をした鹿児島の先人達ですが、
お寺のことでは影の部分しか見えませんね。