2022/07/25歩いてこそ2
昨日は知らない土地に行ったら、ぶらぶらと歩くことをお勧めしました。
そこでは思いがけない発見や、昔から行きたかった所に行ける可能性があるからです。
本来の目的は研修であったり、見聞を広めることではあります。
しかし折角鹿児島から上ってきた身です。一泊分の宿代は負担にはなりますが、
自分の好きなことや趣味の時間を異郷の地で過ごすことは意義深いものです。
その一つが私の場合、町を散策することです。
ですからスニーカーを携行することは欠かせませんね。新大阪駅で降りて梅田、難波
まで歩いたことがあります。8㎞位はあるでしょうか、どんどん歩が進み2時間
ちょっと位歩き続けたのです。
また難波からアベノハルカスまで、途中通天閣を経由して歩くこともあります。
そして谷町筋を天王寺から北上して、四天王寺を始めとした社寺の町を歩く。
この様なことは一向に苦にならないのです。
もっともこれは散策の域を大きく超えていますが。あるとき大阪城を観光した後、
適塾まで歩き見学をすることに決めていました。
社会科の授業でも出てくる適塾は、医師でもある緒方洪庵が作り、幕末の志士に最も
影響を与えた人です。商家を洪庵が購入して、塾生たちが集い学べるようにした
ものです。
伝統的な和室建築が設えてあり、床の間、書院、庭の造りは見事で、年季を経てもなお
現役の姿を見せてくれています。玄関の上がり框と分厚い床板は黒ずんで独特の艶を放ち、
深みと重厚感は圧倒的です。2階は塾生たちが寝起きするところだったように思います。
やや低い天井に多くの塾生が集い、競って学んだのだと言います。
太平洋戦争でほぼ焼け尽くされた大阪の街ですが、奇跡的に残った古建築がいくつかあり
機会があれば巡ってみるのはいかがでしょうか。
他に船場にある小西平兵衛邸は以前にも案内したのですが、商人の町船場を代表するような
大きな造りの家です。最近外壁を白壁に塗り替えて、また違った印象を受けています。