2022/11/19やがて変わる
長い時間をかけて変化してくることがあるので、諦めることは出来ないことがある。
いつしか状況は好転してその希望が抱えられる日が来るかもしれない。それで短兵急に事
を進めると後悔するのかもしれませんね。
例えば伊丹空港(大阪国際空港)はその昔地元民に騒音と立地的危険性をはらんでいると
して、激しい廃港運動が起きた所です。
住民への補償と対策に頭を悩ませた国は、これ以上の拡張と増便は期待出来ないと判断
して、泉州沖に関西国際空港を開港したのでした。
その伊丹空港は閉鎖されて跡地には、国のバックアップ機能を集中させた施設とインフラ
を整備した構想があったのでした。それは過去形ではなく今でも生きていて進展を待って
いるところです。
しかしいつ頃からでしょうか、住民は空港は移転させてはならないという180度反対の
ことを言い出したのでした。それで今でも伊丹は存続し続けているのでした。
似たようなことは神戸でも言えて、当初関西空港の有力な候補地となっていました。
それもそのはずです、大阪、神戸という大都会の近くに出来る空港であれば立地的に物流、
観光、国際交流すべての面に便利で経済的にも大いに潤うことになるはずでした。
ところがどうしたことか神戸の人達は、そんな物どこか他所に作ってくれとけんもほろろに
断ったのです。それで仕方なく関西空港は大阪から50キロも離れた所に所に作られたので
した。それも沖合の深い所ですので、多額の借金を背負っての開港でした。
それが今では3500万人も利用する(コロナ以前)巨大な空港に発展して隆盛を誇って
いるのです。
それからほどなくして信じられないことに、神戸にはやっぱり空港が必要だということを
言い出したのです。あれ程反対していたのに、これには大阪、関西財界の人達は怒り、
あきれてしまいましたね。我儘にも程があると言う訳ですが、至極真っ当なことです。
当時の勢いは、空港なんて危険で他の地域の人が利用する為に、我々が犠牲になることは
許されないという意見が多数を占めていたのでした。
ところがいざ無くなると、町が寂れるとか税収が入らないということが現実として起きて
しまいます。するとやっぱり残してください(伊丹)、やっぱり作ってください(関西空港)
と言い始めたのです。
今度は、「空港は絶対に必要なインフラで、神戸にはなくてはならない施設です」と。
どの口が言っているのか判らないようなことを言い出したのです。
時代の流れとは言え、まったく先を見通す力が無かったというべきでしょうね。
同じようなことは他の業界でもとき時々散見されますし、建築の世界でもあります。
そのことを次回はお話できればと思います。