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スタッフブログ

2021/03/18
続、西岡常一
投稿者:代表君野

西岡は沢山の大工を指導し育てたが、内弟子を取ったのは只一人の人間でした。

 

その名は小川三夫。修学旅行で法隆寺を訪れてすっかり魅せられてしまったのでした。

 

西岡は小川が弟子入りを希望するも断り続けていたと言います。

 

18歳では遅すぎるというのがその理由です。

 

自身は代々法隆寺を守る棟梁の家柄でしたので、子供のころから祖父に連れられ

 

大工の仕事をさせられたと言います。

 

それから与える程の仕事が無いというのがありました。

 

宮大工は決して民家の仕事をしませんでした。社寺仏閣の神聖な仕事は、在家の仕事を

 

することで汚れてしまうという考え方があったらしいです。宮大工の仕事がない時は、

 

合間に畑や田んぼを作りながら生活の糧としていたらしく、生活は楽ではありませんでした。

 

西岡は職人として卓越した技と器量を持っていましたが、それだけではなく、実践的な建築学

 

と仕事柄仏教の素養も身に付けた教養人でもありました。

 

しばしば学者と大論争をやっては、職人の実践学と机上論との戦いを繰り広げたのでした。

 

一歩も引かないその強さは、実践に裏打ちされた誇りと自負の姿勢を我々に見せたのです。

 

中でも西岡が最も言いたかったことは、「大工の造ったものを後から学問として

 

いるだけの事や」として学者の意味のない机上の論争を喝破したのでした。

 

伝統を造ってきたのは紛れもなく大工であって、どんなに権威のある学者でも立ち向かい

 

持論を証明したのでした。また日光東照宮に対しても厳しい見方をしています。

 

「装飾の塊で建築的に学ぶことは何もない。芸者と一緒や」とその姿形を最低とまで

 

言っています。

 

西岡棟梁は最後の棟梁と言われましたが、後には優秀な大工が育ち伝統を守っています。

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