2021/04/15経験を積む
滋賀県に住んでいたことがあります。
東海道五十三次の水口という宿場町です。精神科と神経科のある病院建築
のために赴任したのでした。すぐ隣には信楽焼、忍術屋敷の甲賀の里があり飽きの
こない所です。飽きは来ませんが、若い身空ではその良さに気が付きませんでした。
大阪から電車に乗って京都を過ぎ、トンネルを抜けたところが滋賀県になります。
東海道線をさらに進むと、平板な街並みが続くようになり、田舎の風情が一面に
広がってきます。先程まであった都会の喧騒と風景はもうどこにもありません。
「随分と田舎に来たな」というのが第一印象でしたね。当然寮が有るはずもなく現場に
泊まり込みです。私たちの社員住宅と職人の飯場(職人の宿泊所、もう死語に近い)が
設置されました。週末は近くに遊ぶ所がありませんので、事務所の休憩所で深夜まで
花札やポーカー、職人もたまに入って麻雀をやる等、遊びを覚えたのもいい経験でした。
工事は病院の営業をしながらの増築工事でしたので、事務長、院長先生との連携が
欠かせません。毎日遅くまでの作業が続いたある日、院長先生が洋食のご馳走を振舞って
くれることになります。まだ洋食マナーも身についてない頃で、若い私達はおいしさを
充分味わえなかったような思いがします。
そしてまだ現場には危なかしい者もいて(職人さん)京都の解体屋さんの一人が若い私の
胸倉をつかみちょっとした暴力を振るったのでした。態度が悪かったとは思いません
でしたが、なぜかそういうことになってしまいました。
大したこともなく終わりましたが、今では考えられないことですね。
しかし現場に来る人はそのような人もいるのだと、改めて認識させられましたね。
念のため、今では絶対にそのような人はこの業界にはいませんから安心してください。
現場の宿命のようにして、竣工前の二か月は休むことなく完成を迎えたのでした。
そのあとは決まって無理した反動で腰痛を引き起こすのでした。