2021/08/24無いに越したことはないが
今では人様から注意をされたり、怒られることはめったにない。
直言されることで気付くことも多いが、そのようなことはもう何年も
経験していないです。どこか寂しい気持ちがあります。
学校時代、いや社会人になっても先生、先輩、上司からよく注意されたり、
叱られた記憶があります。小学校6年の担任の男先生は、私と級友を立たせて
「お前達二人がクラスのリーダーにならなければいけない。その力を持っている
のだから」と説教されて、それ以来気を良くして今まで頑張れた。
何のことで立たされたかは覚えていないが、先生の言葉は今でもはっきりと記憶して
いる。叱り上手の先生だったから、多くの級友がそんな経験をしているのかもしれない。
しかし社会人生活に入ると学校の延長のようにはいかない。
職場は仲良し集団とは違うので、成績の上がらない者や出来の悪い社員はやり玉に
あがる。なのでこちらの弱い所(未熟な点)をグサッとくる言葉で突かれることもある。
そうするとひどく落ち込んだり、自分が情けなくなるものです。
それが衆人の前でとなるとかなり堪えるものです。私も一人いや二人はそのような人が
います。しかし広岡監督(野球界の)は言います。「人はどこかで辱めや侮辱を受ける
ことは絶対に必要だ」と。生きていく過程で、どこか考えが甘かったり、脇の甘いことを
しているとズバリ指摘され、時には辺り構わず責められる。
侮辱と辱めで心は震え、その場にいられないくらい気持ちが沈みこみます。このことは
辛い経験ですが、はっと目が覚めたり、今迄の自分を振り返る貴重な場となります。
何がいけなかったのか、どうすればうまくいくのか、頭を使い始めますから自然と仕事
上手になるのは自明ですね。何より皆の前で屈辱や辱めはもう御免ですからね。