楽しい家のスタッフが日々豊かで楽しい家をつくるためののコラムを更新中!

YouTube

インスタグラム

地図

ブログ

blog
ブログ

カレンダー

2024年5月
« 4月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

スタッフブログ

2022/03/18
勤務地続3
投稿者:代表君野

高松での生活も1年ちょっとが過ぎて、先に竣工した第一期棟に続き、第二期棟およびテニス

 

コートも完成間近になってきました。予感めいたものはありましたが、大阪に帰ってくるよう

 

にとの辞令が出たのはこの頃です。

 

待望の都会での勤務ですが、ゼネコンでは1~2年働いて使い物になるようなことはありま

 

せんね。まだしばらくは色々な現場を踏み、経験を積む必要があったのでした。

 

折りしも私達までは大量入社で入ってきましたが、あくる年は半減またその次はその何分の一

 

と、年ごとに採用は減ってきたのでした。

 

ということは由々しきことが現場では起きるのでした。新しい現場に配属されても、いつまで

 

も下働きのままということが続くのでした。

 

後輩が入ってこないと、次のステップの仕事をなかなか任せてもらえないという現実です。

 

それで先輩社員が「わしはもう4年目には主任を任されていたぞ」と自慢げに誇らしげに

 

言われても良く理解できないのでした。

 

それもこれも昭和48年10月に起きたオイルショックの影響は凄まじく、一瞬にして会社も

 

採用を手控えるようになったのでした。結局50年代は全く低成長の時代になり、すっかり

 

雇用枠は減少したのでした。昭和60年頃よりあの悪名高き?バブル景気の走りがやってきて

 

持ち直すに至ったのでした。

 

しかしその影響とひずみは若い社員に顕著で「いつまでも一番下で働くのはもう御免だ」と

 

会社を辞めて新天地を求める人も出てきたのでした。

 

鹿屋の同級生、中〇君は辞めて帰る時、「君は先輩のように経験を積めていないので、今から

 

これを教えてやる」と言われたらしい。辞めて帰る後輩に指導するとは、上司も不憫に思って

 

の事でしょうか。

 

社会情勢と就職は切っても切れない所がありますが、私達の世代はそのような巡り合わせが

 

あったのでした。さてそのような訳で大阪に帰ってきて暫くは、リフォーム物件で谷町筋の

 

大信販ビル改修工事や、京都の関西電力西京極社宅現場に駆り出されたのでした。

 

それから程なくして配属が決まり、尼崎東部下水処理場に行くことになったのでした。

 

ここでは土木、建築の作業所が一体となり造り上げる工事でした。

 

ここでの経験は仕事もさることながら、私的な部分でも自分の視野を広げる現場になった

 

のでした。

▲ページの先頭へ

資料請求・お問い合わせ

ページの先頭へ

Copyright© 2017 株式会社 楽しい家. All Rights Reserved. Created by Co., Ltd ABABAI.