2022/05/14夫々の道
建築を学ぶ学生は、何かしらの動機があって学校に入ってきた人達ですね。
それは変らないのですが、動機はそれぞれに違っていて不思議ではありません。
私のクラスには37名が入学してきましたが、卒業したのは36名でした。
一人だけ大学受験のため就職はしませんでしたが、卒業後はゼネコンに入社して
無事会社勤めを始めたのでした。
就職した同級生が、どのような所に所属して、社会人生活を始めたのか記憶を辿って
みました。一番多いのがゼネコンへの就職です。
大手5社から、準、中堅までのゼネコンに23名もの人が就職出来たのでした。
数的には最もボリュームゾーンになり、その中には私も入っております。
次に多いのは公務員です。都庁、横浜市役所、大阪府庁、大阪市役所、京都府庁、
神戸市役所、福岡市役所に計7名程が就職したのです。
時代はまだ民間の方が人気が高く、専門学校に行って公務員試験に合格しようとする
人はいませんでしたね。
それから設計事務所への入社が2人。大手住宅メーカーに1人、電電公社(今のNTT)
に1人、関西電力に1人、もともと大工になる為に建築科に来た人が1人です。
合計36人の同級生は一斉に社会人となり、夫々のステージで建築と向き合うことに
なったのでした。ちなみに就職先はどの地区だったのかは、関東14人、関西15人、
福岡4人、地元3人でした。
鹿児島からは日本の大都市圏に沢山の人材を供給してきましたが、それは今も変わら
ない現実が続いているようです。就職先に設計事務所を選んだのは2名です。
彼らは学生の頃から設計製図の能力に秀でていて、誰もがデザイン力のある事は
知っていました。またゼネコンは建設することがメインではありますが、
自社に設計部もあって相当数の人間を抱えてもいます。
並みの設計事務所より大きいこともあり、設計施工の物件を主に手掛けているところが
特徴ではあります。最初は工事現場に配属されて経験を積み、後に設計部に配属されて
能力を発揮する人もいます。鴻池組の〇迫君はまさにそのパターンで、何年か前に
会った時に設計部長をやっていると聞きました。
「高卒で設計部長は俺一人だよ」と言っていましたね。
もっとも彼も学生自分、製図の腕前は他者の追随を許さない程の、力量を持っていたの
でした。