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2022/06/21
皆が支持しない
投稿者:代表君野

今日はまったく調子に乗って言っています。

 

昨日みんなが喜んでは買わない土地を、なんとも思わないし、むしろ御利益があると

 

まで言いました。そのような土地を喜んで手に入れ、住まいを造ってみると、立地の

 

良さを改めて感じて益々満足感は高いのでした。

 

どうしてそのような心持ちを持つようになったのかを考えてみても、あまりはっきりと

 

した動機や何かの転機があったようには思えません。

 

あえて言えば父の姿を間近に見てきたからとでも言っていいでしょうか。

 

大正9年生まれですから、もし存命なら100歳を超えていることになります。

 

戦争に行き生死の境を潜り抜けて、運よく帰還出来た人です。

 

朝鮮に渡り中国大陸を転戦して、終戦はサイゴンで迎えたと聞きます。途中万里の長城

 

やハルピンで戦い、どのようにベトナム迄辿ったのか興味は尽きません。

 

ある時丘に陣地を構えた中国兵に囲まれて、もはやこれまでかといった危機を経験した

 

といいます。

 

その手の話は幾度か父にせがみ聞くことがあったのでした。

 

時はちょうど夕方に差し掛かった頃、いきなり敵の部隊が現れて、丘の上から鉄砲の

 

攻撃を浴びたのです。絶体絶命のピンチをどのように切り抜けることが出来たのか。

 

それは運のよいことに間もなく日没で暗くなり、敵の銃声は止んでいったと言うのです。

 

そのような幸運があって何とか脱出出来たと言います。

 

鉄砲のヒューン、シューという球のかすめる音は誠に気色の悪いものであったと言います。

 

しかし右横で軍行する兵隊さんは運の悪いことに、球に当たり命を落としたようです。

 

紙一重の事でそれが父だとしても何の不思議でもありませんね。

 

凶弾に倒れた体は、肘の所から落として父が部隊迄持ちかえったと言います。

 

もちろん体はその場で簡単に埋葬したか、置き去りのまま引き上げたものと思われます。

 

そのようなことが目の前で起きるのが戦争です。亡くなった人に対して供養はするものの

 

何か怖いとか気持ちが・・とかは一切なくただ悼む気持ちだけがあるのでした。

 

父は暗くなってから墓地に行くこともあり、一人正座して手を合わせるのでした。

 

子供心に聞いたことがありますね、怖くはないかと。

 

すると返事は「仏さんが悪さをすることは無い。怖いのは人間だよ」と言って流すのでした。

 

よく納得できる言葉で覚えていて、これは戦争に行った者の言い回しだと思いますね。

 

幾つか戦争についてのエピソードは聞いています。機会があれば話すこともあるかと思い

 

ます。さてそのような親でしたから、特別気にもしない今の自分があるのかなという思い

 

ですね。

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