2022/07/08近づけるか
ここ最近親のことを話していますが、子供にとってはその存在の大きさを実感する
ことばかりです。建築屋はお客様の私生活に良くも悪くも、踏み込まざるを得ない
ことがあります。
時には仕事以外にも相談を受けることがあり、仕事の一環として、受け止めています。
それは決して迷惑な思いではなく、建築共々頼られていることに嬉しさも覚えるの
でした。ですから私がお客様の家を訪問した時は、つい長くなってしまうことがあるの
でした。もっとも聞いていて勉強になる事、見聞が広がる思いをしますので、こちらも
どんどん話しの中に入って、もっと知りたいと言う態度を取るのでした。
年配の方の話は、二度と聞くことが出来ないかもしれないと思うと、
勿体ないですからね。
それは良いとして、先日お話しした方ですが、この方の晩年の身の処し方は見事なもの
でした。私の親世代の人ですので、軍国主義の中、教育勅語をそらんじることも出来る
人達です。
残念ながら、過日お亡くなりになりましたが、自分を律して生きてきて、恥の意識が
身についていたのでした。家を造ってもう17、8年なります。
二年程前には外壁の全面リフォーム工事をさせて貰い、火災保険の延長も済ませて、
後顧の憂いを無くして生きていたのでした。
90歳を超えていましたが、次第に体力がなくなり身の回りの事が出来なくなりつつ
ありました。奥様も同様でよく転んでは、救急車で担ぎ込まれていたのでした。
幾度かそのようなことが重なり、やがて息子さんが知ることとなったのでした。
「何故言ってくれなかったの」と話すと、心配するといけないからと言ったと言います。
親のことで子供たちに迷惑はかけられないと思っているのです。
親子であっても甘えることなく寄り掛らず、自分達で何とかしようとしていたのでした。
別に親子の仲が悪いわけでは決してありませんね。
親子がきちんと自立していて、社会では礼節を重んじ、恥を知る生き方を通してきた
のでした。病院では何一つわがままを言うことなく、「もう少し頑張るから手術を
受けたい」と言ったのです。
残念なことにあちこち病巣が転移し、体力は年齢的に限界があり手術は行われず、
眠るような最後だったと聞きました。
まさに昭和一桁生まれの人達でした。このように生きる人はいなくなりました。