2020/12/08私の建築デビュー
最後まで迷ったが進学の道を閉ざして、建築科のある工業高校に進んだ。
世の中は「明日が今日よりも良くなる」と言われるほど正月と年末では
暮らしの質が変わっていった。
当然のように就職をするので先生からはゼネコンか、設計事務所か、役所かと概ね
このような希望を聞かれたと思う。
クラスにはセンスのいい者(建築設計の)がいて南日美展に入選するような者も数人いた。
自分には残念ながらそのような才は与えられていないと感じていた。
役所勤務はなぜか制服に腕カバーの印象があって性に合わない気がした。
ならばゼネコンしかない。先輩たちが奮闘して歴史を作り、OBが沢山いる会社に決めた。
というより先生からこの会社に行けと言われたような気がする。
今度会った時に先生に聞いてみようと思う。
なぜこの会社だったのかと。別に不満があってのことではないのですが。
高卒85人、大卒230人位の新入生が入社したのです。(昭和49年4月)
東京か大阪を勤務地として希望したが、研修を終えて配属された地は高松です。
東京製鉄の社宅建築現場で所長以下4人のスタッフでやっています。
田舎者のせいか都会にあこがれてきたのに、高松かと思わないでもありません。
所長以下主任、工事担当者、事務職のお姉さんがいて迎えてくれました。
明日からは早速現場マンとしてやっていかなければなりませんが、卒業して何程の
ことが出来るわけではありません。
寝泊まりする所は、プレハブで建てられた現場事務所の横にある和室6帖です。
母が送ってくれた布団袋がすでに着いています。
旧高松空港のあった林町で、僕の建築一年生としの生活が始まったのでした。