2021/01/25私の修業時代
高松に赴任して社会人としての生活が始まりました。
そして今までの生活様式は一変してしまいました。
働き始めたのですからすごく当たり前のことですが、親に生活の全てを頼ってきた
身には何もかもが初めてのことで戸惑いは大きかったです。
現場事務所に泊まるのは自分一人です。建築現場は8時には職人が来て働きはじめます。
所長以下所員が来るまでに事務所の掃除、トイレ掃除、お湯を沸かしてと、
やったこともないのにそれがまた大変なことです。
幸い食事は主任(現場所長の次)さんの奥さんが作ってくれるので、その面では
助かりました。奥さんは大浦の出身ということです。同じ川辺郡で一気に身近な存在に
思えたのです。また私と同じ名前の、私も知っている人と加世田で同僚だったようで
大変驚きました。
ともあれ現場では先輩の後をついていくことで、現場の実践を経験する日々が
始まりました。しばらくすると4月25日がやってきました、何の日か?
そうですね給料をもらえる日になります。
本給62,500円の初任給を初めて働いてもらえたのです。
オイルショックの後とはいえ、高度成長の時代ですので、79,800円、93,000円
113,000円と順調に給料は上がっていくのでした。
その中からいくらか金額は忘れましたが、現金書留で田舎に送ったのです。
お金は使って欲しいと思い送ったのですが違いました。
それまで何回か送っていた分を、ずっと貯金してくれていました。
そして結婚するときに手渡されたのです。
親はこんなことをしてくれていたのかと驚きの思いでした。
仏壇に私の分としてご飯を挙げていたことも帰ってきてから分かりました。
また5月でしたか、手紙と一緒にちまき(あくまき)が送られてきたこともありました。
当時まだ宅配便はなく郵便小包でしか送れませんでした。加世田から送られたようで10日
以上を要して高松まで届いたのです。開けてみるとカビにまみれており、残念ながら食べる
ことは出来ませんでした。それでも母親の思いは私に十分伝わったのです。
この様に技術者の卵として現場に放り出されることで、修業時代が始まりました。
それではまた時間を見てお伝えしたいと思います。