2021/02/19続、恩師の訪問
その日は仕事を終えて、事務所の大きな灯油ストーブを囲みながら、先生と話し
をすることになったのでした。
晩秋のころでひどく寒かった記憶があります。
薬缶はしゃんしゃんと沸き、話しは尽きませんでしたが、「君達が会社で
一生懸命働き貢献することで、また後輩が後に続くことが出来る」ということを
説いてくれたように思う。
戦後就職先がない頃に、苦労して開拓してきた先生だけに思いはいつもそこにあることが
分かります。事実多くの先輩が会社に名を連ねていて、毎年一人~二人の卒業生が
入社していたのでした。その後先生の教え子である小倉所長の下に配属になり、
同窓の有難さを感じたのでした。
年上の同僚からは、学校の先輩、後輩の関係は特別だから、何かにつけてお世話になれば
いいと言われます。
ただ駆け出しのころで所長と直に仕事の段取りや、工程の確認等の話をする
わけではありません。
まだ若くて経験も力量も不足していて、もう少し時間が必要なのでした。
さて時間を忘れ話し込んでいると、もういつの間にか深夜になっていました。
すると先生は、ここでいいから泊めてくれないかと言うではありませんか。
6帖一間の寒い部屋に、それも現場に先生を泊めるわけにはいかないと、
子供ながらに思ったのでした。
それで近くのエアポートホテルまで送り、翌朝また早くお迎えに行き見送ったのでした。
その後事情があって、私は25歳で帰郷しなければならなくなり、鹿児島での生活が
始まりました。先生の年賀はがきには「遊びに来いよ」といつも書いてくれていました。
いつかいつかお伺いしようと思っているうちに、先生はあっけなくこの世に、お別れを
告げたのでした。このことは今となっても後悔しきりの思いです。短いあっという間の
人生は4の5のと言っている暇はないです。思い立ったらすぐ行動することですね。