2022/02/02続関門2
禁断の手を使ったのは合格したい一心から出たものでした。
それはぎりぎりの選択であり、もしそれをしなかったら敢え無く不合格の
憂き目にあうことは誰よりも自分が分かっていました。
ですので半か長か博打のような賭けに打って出たのでした。
窮地を打開するにはそれしか打つ手がなかったとも言えます。
それは最後までエスキースが決まらずに、窮地に立たされていたのでした。大枠は
まとまった、でもあと一歩の詰めが、どうしても決まらないのです。
このような場合ゾーニングの所まで引き返し、新たなプラン案に切り替えることが
良かったのですが、最初の案で押せると踏んでしまったことがいけなかった。
時間は刻々と非情にも進み、エスキースをまとめなければならない1時間半を10分
位過ぎようとしていました。そして時ここに至って、もう限界とついに決断したのです。
その手法とは、「作図をしながらプラン案を考える」というものです。エスキースが
まとまらない事には作図はスタートできないと言いました。
しかし窮地に陥った私は、セオリーにない禁断の手を使ったのです。
藁にもすがる思いでの事でしたが、作図しながら妙案が浮かぶことに一分の期待をして
いたのです。しかし結果はお伝えするまでもありませんね。
そのような奇跡的なことは起こるはずもなく、敢え無くこの年の建築士試験は終わった
のでした。この時の教訓は「とにかくエスキースの力を付ける事」です。
そしてまたあくる年がやってきました。設計課題は「研修施設」という課題です。
今年もし失敗したら一から(学科試験から)やり直しになり、プレッシャーを感じて
いました。企業や役所、地域の人々が集い、様々な研修を受けるための施設を設計せよ
と言うものです。この年は気合も一段と入り、自分でもやるべきことはやってきた
という思いがあったのです。