2022/03/13解答がない
3月は入学試験の季節。悲喜こもごもの声を聞くことがあります。
合格者は新聞に実名報道されて、知り合いや同級生の動向を知ることが出来て、
それはそれでいい時代がありました。もう随分前にそのような発表のされ方は廃止され、
個人の権利が守られるようになって、今ではそれが当たり前のことになりました。
私たちが中学校に入った頃までは、中間、期末試験の成績はトップ30位くらいまでは
校内ホールに掲示されていました。
励みになったり、悔しい思いをしたり、人によって捉え方は当然違っていました。
今にしてどう思うかというと、やはり一部の人(出来の良い優秀な人)以外は公表される
ことに抵抗があると思いますがどうでしょうか。いや優秀な人でも、成績が掲示される
ことに否定的な意見を持っている方もいるのではと感じています。
優秀な人が上位で掲載されるのを嫌い、わざと間違った解答を出すと言うことも聞きます。
人生に試験と順位付けはついて回るのですが、働く社会では学生のように明確な点数は
付けられませんね。
そのようなものが必要とされるのは資格試験くらいのものです。自身の生き方が試験の対
象であり、誰かと競争しているものではありません。難しいのは生きていく上での問題には
解答が無いということも、試験問題を難しくしているところです。
学生さんも大変ですが、社会人も解きづらい問題に頭を悩ませることがあります。