2022/03/15勤務地続1
皆さんは高松と聞いて何を最初に思い浮かべるでしょうか。
讃岐うどん、金毘羅さん、栗林公園、小豆島、屋島でしょうか。若い人だったら本四架橋
という人がいるかもしれませんね。それからもう無くなってしまいましたが、鹿児島から
高松には飛行機が飛んでいたのでした。10年以上前に出張で高松に降り立ちましたが、
山裾から市街地に掛けて一帯には数多くのため池が見えてきます。
その景色は瀬戸内海気候を見事に体現して、地理で習った通りの様子が見て取れるのです。
さて旅行ガイドブックのような優等生の紹介はここまでとして、若い社員はよく町に繰り
出しては歓楽街の賑わいに引かされるように出かけたのです。
琴電の愛称で親しまれる路面電車は、繁華街のど真ん中、瓦町で降りると四方八方に
広がる商店街につながっています。当時の商店街は人の波が絶えず、肩をぶつけながら
体を揺らしながらに歩くのでした。
主に所長以外の3人で出かけるのですが、仕事上りのビールと地元の酒は格別の
美味しさで、気分は高揚し羽目を外すことも多かった。
昭和49年のことですが、18歳で社会人ともなればもう立派な大人として見てくれます。
すっぽんの生き血をワインで割り味わうことが、街に出かけて食事をすることと考えて
いる斎藤左官の親父さん。
私はと言えば、若い身空で贅沢なご馳走を頂けるのも、ゼネコンマンの特権かと得意満面
でしたね。そしてまだまだ宵のうちとばかりに「黒い真珠」にはせ参じ、妖艶な女性達が
出迎えてくれると更に調子は上がるのでした。すっかり酔った体には「金泉」の釜揚げ
手打ちうどんを食み、儀式のようにして終焉を迎えるのでした。
高松営業所では年に一回の社員旅行が開催されて、この年愛媛県までバスで出かけて
行ったのでした。しかしここでの経験は苦いものになったのでした。