2022/03/24勤務地続6
尼崎の現場をおいて後にも先にも建築と土木が一緒になってやることはありませんでした。
土木屋さんがどのような段取りをして、またどのような考えで仕事をしているのか、
その一端を知ることが出来たのはよかったです。
皆さん個性の強い人達が多かったのですが、同じような年齢の仲間と出会い仕事をし、
飲み会も会社への愚痴も言いながら過ごせた楽しい現場でした。
土木出身の社員さんは、多くが大らかな気質であまり細かい事に振り回されない人が
多かったのでした。
でーんと構えてゆっくりとした仕事をしているように見えて、工程表通りに仕事は進ん
で行きますので、見習う点は多いのでした。職業柄なのか、それとも元々そのような
人間が土木に入るのかは今でも分からないところです。おそらくその両方かもしれません。
土木の大沢さんではありませんが、「土木は良いな」と反対に言いたい気持ちですね。
さて現場マンの宿命ですが、そろそろ竣工が近づくと、一人また一人と次の現場に向けて
去っていくのでした。
形として残る建築を造り上げた満足感は大きく、使命を終えて久しぶりに寛げる時間を過ご
していると、また辞令が出るのでした。なかなか会社は社員をゆっくりと遊ばせてはくれ
ないのでした。その辞令は病院建設の現場らしい。
藩政時代から続く歴史のある病院で、精神科を中心とした診療を行っています。
滋賀県水口町は宿場町で京都より数えて四つ目の五十三次になります。ここが今度の赴任地
でした。大阪から長いこと電車に乗り、そこからまだバスで通うような地です。
スタッフは桐畑所長以下五人で編成されました。所長は大津の膳所高校出身で青木院長と
同窓の関係のようです。
そのようなことで所長として配属されたのかは分かりませんでしたが、青木院長先生には
よく我々若い者にも目をかけて貰い、ある時は食事会に誘ってもらったのでした。
滅多にない洋食のご馳走にあずかり、テーブルマナーをまね事のようにして覚えたのが
懐かしい。
現場は古い木造建築を解体して、新しい鉄筋コンクリート造の建築をつくる計画です。
この真っ新な土地に約一年後、掲げてあるパース通りの病院が出来ることになるのでした。