2022/05/06人が育つ2
大工見習とはまだ一人前になる前の修業中の大工のことを言っています。
師匠の下を離れた若い大工見習いの言う「何も教えてくれなかったから辞めた」
には歯がゆい思いがすると同時に、もっと上手くやれたのではという思いが正直な
感想です。
そして師匠の態度も、若い見習の大工の言うことも、両方が分かるのです。
運が悪かったとか、相性が今一つだったとかで片付けてはいけないと思っています。
大工が一人前になるにはどのような経過を辿るのかをちょっと考えてみたいと
思います。古い人達、概ね60歳以上の人達には、師匠の存在は大きくて目標とする
人物像でした。それで辛いことの多い修行に日々励み、仕事を早く覚えようと一生懸命
でした。師匠の動きや道具さばきを見ては、自分でもあのようにはやくなりたいと思う
気持ちがあったのでした。職人の世界でいう所の「盗んで覚える」というやつです。
師匠は細かに、いちいちは教えてはくれませんでしたので、弟子は食らいつくような思い
で師匠についていったのでした。
料理人や建築職人等、およそ弟子と師匠の関係ではそれが当然と言われる時代でした。
しかしこれは何も職人だけに限らず、会社勤めでも同じことです。
先輩や上級職の人の仕事ぶりを見ては気付くことがあり、自分もいつかあのようになりたい
と思うことで成長できたのでした。
建築の技術者もそうで、沢山の先輩の仕事を見ては記憶に留めたり、あるいはノートに
書いては一つずつ覚えていくのでした。
当の大工師匠が、見習の大工が言うように何も教えていないのであれば、これはもう
人を預かる師匠としては情けない人と言えます。弟子を取ることは覚悟を決めたから
預かったと思いたいですね。そしてこの師匠は弟子には教えるタイミングを計っていたと
思うのです。
教えすぎても自分の研究心や工夫する態度が育ちませんので、期が熟していないと考えて
いたのではないでしょうか。大工の師匠が偏狭な心や、教えることで自分の立場が危うい
ものになるとは考えたくないですからね。そういう意味では人を預かり、育てることは
人間的な器を必要とし、自らは手本を示すことが出来る人でないと務まらないことに
なります。
同時に若い見習大工は、今迄学校で手取り足取りの教育を受けてきたことと思います。
大工で身を立てる目標を折角立てたのですから、師匠にはもっと聞くことが出来たら
良かったのではと思います。受け身の態度を少し変えることが出来たら、違ったのかも
しれません。聞くということは大変難しいことではありますが。