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2022/11/24
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投稿者:代表君野

郷里に帰って地場(鹿児島市)ゼネコンでまた働き始めたのでした。

 

大阪で建築、とりわけビル物を多く建ててきたからか、規模が大きくて荷が重たい

 

と感じることはなかったですね。

 

そういった意味では、重量建築を最初に経験したことは貴重なことでした。

 

鉄骨での重富流通センターの新築工事が終了すると、次は純和風住宅の工事現場を

 

担当するようにとの辞令をもらったのでした。

 

場所は加世田市の繁華街に立地する、デパートのオーナーさんの家です。

 

木造平屋建てで60坪位はあったでしょうか。設計監理は堂園設計さん。鹿児島では

 

老舗の設計事務所で、オーナーさんに近い年令の常務さんが担当されたのでした。

 

会社の重役が設計監理の担当になることは珍しく、それだけこの現場に寄せる思いの

 

強さがうかがわれたのでした。

 

現場は本格的な和風建築のため、大工の選任には特に配慮する必要があったのです。

 

と同時に木材の事をよく知る目利力もまた求められたのです。木造住宅は他の重量建築

 

とは違う勘とセンスがあって、初めていい木造住宅ができるのでした。

 

この頃まで木造建築にはあまり縁がなく、手軽で誰にでも出来る建築だと思っていました

 

がさにあらん、細部のデティールの検討、梁や柱の配置と寸法の決定、さらにはインテリア

 

においては家主様の趣味嗜好を踏まえた提案が必要等、やることは山ほどあって画一的に

 

進むことは少ないのでした。

 

また家主様に寄り添い、自分のことのようにして働くことは、建築屋として大きな喜びで

 

もありました。

 

このことはやがて、木造建築を将来手掛けていこうという思いにもつながり、建築の違う面を

 

育んでくれた現場でもあったのでした。

 

大工棟梁には検校工務店の松木さんが親方から指名されます。まだ30代前半だったと思い

 

ますが、棟梁として初めての本格的な和風建築のため、意気込みはもちろん持たれていまし

 

たが、同時に緊張感も覚えている様子です。

 

まだ昭和50年代半ばは、プレカット工場もなく全てを手刻みで加工する時代です。

 

朝早く7時くらいには現場にやってきて、ノミを研ぎ、カンナの刃を手入れして、気合の

 

入った大工作業に毎日励んでくれたのでした。

 

やはり棟梁さんの仕事にかける思いは、他の職種にもいい影響を与えて、引き締まった現場

 

となったのでした。

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