2021/05/25自分で言うのも
自分のことを相手に知ってもらうのは、何かにつけて良いことだと思っています。
それは相手にとって初対面の私は、何者かも分からない、どこの馬の骨かも
しれない怪しい存在と映るからですね。そこで自分で自分のことを説明しようとすると、
遠慮が働いたり僭越な思いになり、うまくいかないことがあります。
特に日本人は自分のことを人に伝える、自己主張するということが苦手ですからね。
政治家の皆さんは、何の躊躇も恥じらいもなく、自分の実力や功績を述べることに
慣れていますが、なかなか一般の日本人はそうは行きませんね。
昔同郷で一緒の寮に住んでいた人が、寮長をしていました。30人位はいた寮だったと
記憶しています。
この寮長は仕事もさることながら、麻雀、酒、寮でのレクレーションと、寮生にとっては
楽しみを見つけてくれるありがたい人でした。
元々山形屋の傍で商売をしている家庭に育ち、親の後姿を見ながら社交性や、
人のお世話をすることは自然なこととして、身に付いたのではと思っています。
その寮長がみんなを引っ張って、六甲山の麓にある緑地公園に行くことになりました。
(名前は忘れましたが)14~5人の寮生を連れ立ち、相手もそれくらいの人数の
若い女性会社員の人たちです。
どこで見つけてきたのか知りませんが、さすが寮長と思いましたね。
「昔の人は聞き覚えのあるゴウハイですね」そして自己紹介の時間になると、
「他己紹介」にしようではないかということになり、自分の右手の人を、それぞれが
皆さんに紹介することになったのです。一巡してみると、気分の良い満たされた
思いがして、これはいいもんだと思いました。日常でも人を紹介する事は多いですが、
どちらかというと人には「誉れ」のある面を伝えようとしますからね。