2022/03/19勤務地続4
尼崎東部下水処理場は土木、建築それぞれの社員が一体となって進めるものでした。
土木が下部施設を構築して、その上に建屋を建築するものです。
この現場には同期生3人、一年先輩が3人いて若い社員の多い現場でした。
休日には六甲山スキー場に出かけたり、土曜の晩は高速を飛ばして大阪まで遊びに行ったり
遊ぶためなら遠くまで足を伸ばすことも厭わないのでした。
誰が言うこともなくまとまり、少々遅くからでも決まれば車を飛ばしていましたね。
名古屋の米屋の倅で沢田さんは「米屋は儲かるんですよ」と言います。
なぜか、答えは。「古米や2等米を混ぜて売るのが常識だからです」と。
また大学に7年も通い、新入社員とはいえ既に30前の中村さん。
家族を養う程の給料はまだもらっていないにもかかわらず、祝言を上げてしまったのです。
土木人にしてはクールで秀才の雰囲気を漂わせる大沢さんは、同期入社組です。
あなたとは入社一年お祝い懇親会でお会いしていますねと言ってきます。
なぜ覚えていたのかというと、彼は土木の一年目スピーチをした人です。私が建築での
スピーチをしたのを覚えていたのでした。
私は喉が渇くくらい緊張していたので、あまり周りが見えていなかったのでした。
大沢さんはさすが京大卒の秀才でした。おまけに院迄出ています。
よく観察眼を働かせていたのでした。その彼と事務所でたまたま居合わせて話をしたこと
があります。彼はおもむろに「建築は良いな」と言うのです。
なぜなのか理由を聞くと、建築の仕事が面白そうで興味があるらしいのです。
私にしてみれば意外なことで、土木を究めたいと最高学府以上の学びをしている方が、
という思いがしたのです。
その後彼と再び会うことはありませんでしたが、幹部社員になって頑張っている様子を
昔の同僚に聞いたのでした。以上のお三方は皆さん土木の社員さんでした。
この現場はどちらかというと土木主体の作業所で、建築は建屋工事のために編成された
ようなものです。当然幅を利かせるのは土木の人達になるのは自然の成り行きでした。
現場事務所は土木現場の雰囲気がそこかしこして、男の職場そのものでした。
そしていつもの建築現場とは違う趣があったのでした。
大平所長,岸副所長以下よくまとまり、親分の指揮のもとみんなが同じ方向を向いて動いて
いるそんな印象があります。職場での楽しみも良く企画してくれて、我々建築の社員もたまに
参加させてもらえたのでした。
所長は大らかで要のところを押さえれば、あとは若い社員に任せるやり方に見えました。
この頃から職場では、土曜日休める人は遠慮なく休むようにという雰囲気がありました。
「休みの日は私がいなくてもだれか他の社員がやってくれる。働いている日は私がやら
なければ誰がやる」と思って仕事をしろというのが口癖でした。
昔気質のいかにも土木の所長さんという方でした。
大平所長には現場が終わるまでに、二つくらい個人的にお世話になったのでした。
この現場は非常に階高が高くて横に長い建物です。材料の荷揚げ、荷下ろしは綿密な作業
計画が求められます。ここではそのため通称トンボクレーンという水平式の大型クレーン
が採用されたのでした。このことは建築の仮設計画を練るうえで大変勉強になったのでした。
ではまた続きは明日にさせて下さい。