2022/03/31節目こそ周りが
コロナの影響は長く、その力の弱まる気配はありませんが、卒業と就職、進学の季節
がやってきました。町は華やかで賑やかな声こそ聞こえませんが、送別会と思しき
集まりを見かけるようになりました。
皆さん行儀よく飲食をして、節度のある態度には安心していられます。
7年間お世話になった会社を辞職して、鹿児島に帰ったのはちょうど今の頃でした。
前年の夏頃お袋から電話があり、父が重篤な病気であることを知らされるのでした。
余命半年。すぐさま飛行機で帰郷して、大学病院に直行すると父の元気な姿を見るのでした。
正月に帰った時と変わらぬ様子です。今元気なのに何がどう悪いのか、先生にしっかりと説明
して貰いたい思いです。
それでも診断は変りなく3か月程で急変するかもしれないと、更に肝がつぶれるような
ことを言います。希望のある声はなかなかお医者さんからは聞くことは出来ないのでした。
散々迷ったが、引き留めてくれる人もいましたが、振り切るようにして大阪を後にしたの
でした。一人息子で我儘に育った自分が、何一つ親孝行をしないで大阪に留まることは
出来ません。
年度末の突貫工事をやっと済ませると、植田所長以下7人で送別会を大阪難波で開いて
いただいたのです。おまけに餞別迄いただいて身に余る光栄でした。
高木さんは前の大正の現場から一緒に配属された方でした。180センチを超える大柄な体
ですが、元ラガーマンにしては気持ちのやさしい人です。
その高木さんが「君野もう会えないだろうが、うちに泊りに来て一緒にやらないか」
と誘ってくれます。奥様の手料理に舌鼓を打ちながら、これまでの事、これから何も
決まっていない事を話ししながら、短い一夜を楽しく過ごしたのです。
それは今でも感謝の思いが消えることはありませんね。
ちょうど今旅立ちの季節を迎えています。故郷を離れる者、職場を去る者、人事異動で仲間
と別れる者、それぞれの事情があることでしょう。縁のあった私たちが、出来ることをして
送り出したいですね。