2022/07/21もう見掛けない
茅葺の屋根を今見掛けることは滅多にありません。
鹿児島では川辺峠の吹上庵の情景が目に浮かんで、懐かしい思いをしています。
以前田舎の集落では、ほとんどが茅葺か藁ぶきの屋根だったのですが、昭和40年代
位までにほぼすべて瓦屋根に葺き替えられたのでした。
私は実家の屋根が集落で最後まで茅葺のまま残っていたので、記憶にしっかりと
残っています。
父は冗談ともつかないことを言い「県の文化財になるかもしれない」と言っては
笑わすのでした。葺き替えは傷んだ表面の茅をはぎ取り、新しく刈り取った茅を
上葺きするのですが、中間層から下の茅はあまり傷むことはありません。
厚さが40センチくらいはあったでしょうか、表面から半分くらいを葺き替えた
のです。集落の人が参集してくれて、共同体の有難さを感じるのでした。
私は中学生でしたが小屋の中へ入り、手伝いをしたのです。
竹(真竹、唐竹とも言う)を鋭く斜に伐り、竹やりそっくりの姿をした棒を
内側から茅に差し込みます。足場となる小径の丸太を内側の丸太と縄で結び、
それを水平に何段も組むところから始まります。
これを足掛かりとして、外の傷んだ茅を撤去し、新しい茅を葺くことが出来る
ようになるのでした。集落の各戸が年中行事のようにして葺き替えられますので、
集落の主は誰でも作業が出来るのでした。
詳しくは覚えていない所もありますが、おじさん達は内と外で「オーッ」と声を
掛け合いながら縄で茅を締めるのでした。
屋根には新しい茅を幾重にも差し込んでいくのですが、最後には不揃いな茅を刈り
揃える作業をして屋根葺き替えは終了となるのでした。
真新しい茅は金色に輝く屋根となって見事に甦るのでした。この時は東の一面を
葺き替えたのです。全部を葺き替えることはなく、傷んだ面から順番にやるのが常
でした。今ではこのような作業が出来る人が居るのかさえも分かりませんね。
次回は住んでいた体験から、茅葺の様子がどうだったのかを話し出来たらと思っています。