2021/02/06やくざな商売
18歳で社会に出ると子供から大人へのクッションがありませんので
驚愕したり、狼狽する事が数多くありました。
田舎で純朴に育った身では?大人社会の現実は厳しく映り、仕事の日常は
気迫と緊張感にあふれていました。
特に建設現場は気性の荒い者、たまには絵を描いた者、それに指を飛ばした者など
見たこともない人が多く出入りして、このような世界でやっていけるのかと不安に
なるのでした。とんでもない世界に私は足を踏み入れたのではないかと思いましたね。
今はやさしい時代になって先ほどのような人はいませんが、当時はそのような光景は一杯
残って居ました。
もっとも学校でも現場の様子は先生から聞いたり、面白おかしく語られていましたので
覚悟のようなものはありました。ゼネコンに就職するということは、いかに職人を使い
早く技術を習得して現場所長になるかということが、目標であると思っていたからです。
また言葉では苦労するかなと思っていましたが、そこはすぐに馴染んでいくことが
出来ましたね。
1か月もすると、大阪弁や地元の言葉を話せるようになったのです。
ある時鉄筋屋さんの組み方が悪くて直すように指示しましたが、言い方が悪かったのか
相手から凄まれてしまいました。若い身空で横柄な態度に映ったのでしょう。
こちらも新人とはいえ協力会社の職人には毅然とした対応をしなければと、
気張っていたのです。
まだ職人との間合いや言葉の交わし方は未熟なままでした。
毎晩事務所に一人で泊っていましたが、余韻の悪い別れ方をしましたので、きっと
押しかけてくると思い込んでいました。そのため一睡もすることが出来ず
朝を迎えてしまったのです。翌朝は何事もなく普通に鉄筋屋さんと一日が
始まりましたが。少しづつですが色々経験をする中で、現場マンらしい顔つき
になっていくのでした。