2022/06/03勤務地17
この現場は職員の多さもそうですが、個性の強い人達が集まっていました。
林所長は職員を森小路の自宅に呼んでは、焼き肉での御馳走を振る舞い、皆に頑張って
もらおうと気遣いを見せるのでした。
それは本店工事長というもう一つ上の職にもなろうとする頃だったと思います。
現場での成績が評価されるとあってか、職員には結構きつめの態度で来るのでした。
仮設工事を担当している藤本さんは、所長とは神戸大で同窓の仲です。
ある時藤本さんはお金の掛かる作業になることで、少し悩んでいる様子です。
と言っても小柄な体に闘志を秘めたファイターのような人です。「一回所長に怒ら
れれば済むことだから」と意に介さないような態度でした。
案の定林所長は、何事か一言怒声を浴びせるやいなや、右手は彼の頬をいい音で
ひっぱたいたのです。林所長は態度もそうですが、口のきき方も威勢が良く、私達
には怖い存在でしたね。
そのことはちょっと別な見え方もして、先輩である所長が可愛い後輩の藤本さんに
喝を入れているようにも見えましたが、違ったでしょうか藤本さん。
いくら可愛い後輩と言っても、相手を叩くと言うのはやり過ぎのように見えましたが、
林所長ならありうることだと思えたのでした。
現場所長は現場で起きる全ての責任を負い、何かあれば一人で引き受けなければならない
立場です。それで現場が上手くいっていれば所長の機嫌は良いのでした。
また仕事中でも何をしていても怒る人もいません。まぁそれくらい所長は偉くて、目指す
べき存在だったわけです。それで現場職員の将来の夢が、所長である事は当たり前のこと
でした。
しかしこれ迄何度も言ってきましたが、昭和50年代はオイルショックの影響が強く残り、
売り上げはどこも低迷していったのでした。同時に新入社員も少ない人数しか入ってこない
のでした。その事で会社の社員構成は、上は厚く下は手薄のような状態になっていたので
した。そしてそれはバブル景気が始まる60年代初めまで、続くことになります。