2022/06/05勤務地19
大正の現場は数多くの現場社員と一緒に仕事をしたせいか、一際記憶に残り印象深い
ものがあります。あともう少し夫々のことを、紹介をしたいと思いますのでお付き合
いを願います。当時から長い時間が経過しましたが、今なお瑞々しい記憶にあるのは、
若かった自分がこの現場では、初めてお目にかかる事が多く、日々新鮮な毎日を送る
連続だったからでした。
個性の夫々違う人達と、一緒にやれた事も記憶に刻まれることになったのです。
村松さんは副所長の次に位置する立場で、現場のキーマンのような役目を果たしていた
のでした。それは豊かな知識と経歴がそうさせたのかもしれません。人間的な魅力も
兼ね備えて、少しも奢ることのない人でした。
160センチあるかないかの身長は細身の体で、時にジョークを交えて話すのでした。
京大卒で組合委員長も務めたとなると、出世コースは約束されたも同然、というのが
専ら回りの評判でした。
あえて大学名をお知らせしましたが、学閥だけで偉くなれる程会社は甘くないことは
皆さんも知っての通りです。私の母校の大先輩は、専務と常務の二人がいて、学歴が
あまり関係のないことを示しているようで、目標になるのでした。
その村松さんとは現場で、躯体の墨出し掛かりとして一緒させてもらったのでした。
墨出しとは躯体が上がると(各階のコンクリート打ちが終了すること)水平、垂直の
基準となる拠り所の線を出すことを言います。
これがあってはじめて仕上げ工事に進むことが出来るのです。レベルを担ぎ水平の墨を、
下げ振りで垂直の墨を次々と出していきます。ちょっと手間がかかるのは階段の墨を
出すことです。階段には転びというものが有ります。転びは立ち上がり部分を蹴込みと
言いまして、3センチ位斜めにしてモルタルを塗る事です。
このことで踏み面が広がり、上りやすいものになるのでした。このことを図示して、
「君やん、階段の墨付け図や、これで行こう」と言われて、他の社員にも説明するので
した。先を見通す力が現場マンには必要ですが、体と反するように容量の大きな方でした。
その村松さんん、やはりと言うか後年代表取締に抜擢されたことを聞きました。
彼でなければ困難な状況を乗り切れなかっただろうと、同僚だった安部さんは言います。
2~3年ほど前に、安部さんより村松さんの回想録を送ってもらいました。現場マンで
あれば誰でも経験する苦いことや逸話、武勇伝が面白おかしく書かれて一気に読み終え
たのです。そしてそれ以上に会社を思う彼の気持ちが話されていたのでした。